河鍋暁翠とは

暁翠筆百福図 河鍋暁翠(かわなべ・きょうすい、1868(明治元)-1935(昭和10))は、父・暁斎から幼少より絵の手ほどきをうけた閨秀画家です。
 暁翠は、1868年(明治元)に誕生し、17歳の時には第2回内国絵画共進会に出品するまでの実力を備えていました。そして22歳の時に、父と死別します。その後も明治20年代にはいくつかの展覧会に出品し、その彩色を評価されましたし、明治30年代後半には、女子美術学校(現在の女子美術大学)草創期の教師を務めました。この間、明治40年代までは錦絵や挿絵本も出版するなど、画家として幅広い活動を繰り広げていました。
 しかし、娘の誕生後は生来の控えめな性格も手伝ってか、展覧会活動等は少なくなり、良家の子女や画道に関心を持つ趣味人に教える個人教授が、活動の主体となっていきました。 そして、1935年(昭和10)、出稽古先で脳溢血となり、帰らぬ人となったのです。
 暁翠も、「寛永時代美人図」(掛軸)、「地獄太夫と一休」(襖絵)のように力量充実した作品から、「百福図」のように父譲りのユーモア溢れる作品まで、幅広い作例を遺しました。
左図:河鍋暁翠筆「百福図」

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